タコツボ化する世界

世の中が至る所でタコツボ化している。 

タコツボ化というのは、概念とか価値観の細分化が進行しまくって、あちこちに周囲と隔絶された細かい情報の結節点ができる現象のこと。結節点同士の交流が行われないために、同じ日本人同士でもどんどん話が通じなくなりつつある。「世代の断絶」的な現象のさらにすごいやつである。世代や地縁、教育水準や個人の趣味嗜好などあらゆる価値軸からなる断絶が、そこかしこにできまくっている。究極的には、善悪の判断の基準さえ揺らいでしまうほど深刻で根深い。 

歴史をひもとけば……江戸時代には、鎖国政策によって海外と日本を切り分け、日本自体が1つのタコツボ的存在だった。さらに、日本国内でも行政ユニット(藩)によってタコツボ化が行われ、さらに地域的に川とか海の往来を制限することで、限定的なタコツボエリア内で方言が生まれ、離れた場所にいる人たちが直接話をすることが困難になったりした。 

昨今、人的交流の硬直化、知識や情報や価値観の互換性が失われつつある。さらに、その結果として「同じ日本人同士なのにまるっきり話が通じない」という、コミュニケーションの「タコツボ化」現象が進行している。 

日本国内でもどれだけのタコツボが存在するのか、まったく分からない。人の数ほどタコツボが存在するのか、それともある程度のジャンル分けが可能なのか? 

人々がテレビやラジオ、新聞などのマスメディアを「なんとなくうさんくさいもの」「公器を自称する単なる利益誘導装置」として避けるようになり、情報入手をインターネット上から行うことが多くなると、限定されたWebや限定されたエリアから情報を取得するようになる(たぶん)。そのために、情報化社会とか言われながらもタコツボ化が進行し、社会的な常識とか共通概念といったものがどんどん壊れてきている。というか、「常識」というもの自体が共同幻想だったのだと気付かされる今日このごろである。一応、道具としての「社会的常識」というものは便利なので、個人的にある程度尊重はしているのだが、「常識」という道具が使えないとなかなかつらい。 

もともと、日本語というのは、厳密なコミュニケーションを意図して運用されてこなかった。 

たとえば、子供が成長して家具職人の親方の元に弟子入りしたとして、最初は親方が何を言っているか分からない。専門用語は分からないし、親方の言葉にはクセがある。下働きなどをしながら徐々に親方や先輩たちの言っていること、専門用語やコミュニケーションの仕方などを学んでいくことになる。職能的な教育の前に、心構え(コミュニケーションのための大前提)とかコミュニケーションの方法、その職場で使われている言葉の意味空間のマッピングをまずは学ばなくてはならない。そうして、話が通じるようになってから、ようやく職能的な教育に入れるという仕組みだ。 

昔から「職場」「職域」という独自のタコツボがあり、いまもそのあたりの状況は変わっていない。日本語および日本語の運用形態はタコツボを生みやすいといえるかもしれない。 

この、タコツボを生みやすい原因が「美しい日本語」というやつだ。「前向きに善処する」とか「遺憾の表明」といった、具体的に何を言っているのかさっぱり分からない虚言、美辞麗句である。周りもこう言っているから、こういうケースの時にはこう言っておけばいいだろう的な、コミュニケーションの産物。意味を深く考えずに慣例的表現を行うことで「共感」優先のコミュニケーションを行う結果、厳密な意味そのものが伝わらない。 

私は、私生活および仕事上で「美しい日本語」を撲滅する活動を日々行っている。この、打倒すべき「美しい日本語」の対極に位置する概念が、「正しい日本語」だ。意味がよく分かり、知識的文化的地縁的なバックボーンが希薄な人間同士でも円滑にコミュニケーションを行える日本語コミュニケーション。それこそが、「正しい日本語」。 

「正しい日本語」では、あいまいな概念を徹底的に排除する。主語についても明示的に確認する。 

カタカナ言葉をなるべく使わない。カタカナ言葉は、狭い範囲のコミュニティ内で使用されている共通概念である可能性がきわめて高いので、そのコミュニティ外ではまったく通じなかったりするし、英語をただなんとなくかっこつけで使っている場合もひじょうに多いからだ。あっ、「コミュニティ(共同体)」と「コミュニケーション(意思疎通)」だけは許してほしい。これを使わないと、ものすごく話がかったるくなる。 

「正しい日本語」活動は、「分からないことを分からないと意思表示する」ところからはじまる。なんとなく、なあなあで話をすることだけは絶対に避けなければならない。それは、コミュニケーションを放棄するのと同じことだ。 

意味が分からない言葉を使われたら、即座に「何を言っているのか分からない」「まったく意味が通じない」と、たいへんに不愉快な顔をして相手に伝える。 

  何を言っているのか、まったく分からない。 
  何を言っているのか、あまり分からない。 
  何を言っているのか、30%ぐらい分からない。 

といったように、「どのぐらい分からない」かを具体的に伝え、さらにどの言葉や概念が分からないかを具体的に伝える。 

そうして、分からない/意味が通じない言葉を確認しながらコミュニケーションを行い、お互いに認識に間違いがないことを確認しなければならない。 

ただし、「正しい日本語」だけを使っていると空気が険悪になったりするので、適度に相手を笑わせるような内容も入れる。これを忘れると、単にケンカを売っているように見えるため、要注意である。 

しかし、万能と思われた「正しい日本語」にも強敵が現れた。
ウチの奥方様である。 

奥方様は「『正しい日本語』を憎んでいる」と公言してはばからない。いちいち主語がなんだなんて答えてられるもんか! と、ブチ切れることたびたび。私が「何を言っているのかさっぱりわからん」、と言った瞬間になぜかケリが入ったりする。 

「正しい日本語」活動の苦難は、まだまだ続くのであった。

Copyright By Piyomaru Software. All Rights Reserved