子供の頃にバレンタインデーにチョコレートをもらったことがない。母親や妹たちからもらったことはあったかもしれないが、それは完全に「包装が豪華なおやつ」「配給制の食料」ないしは「不幸な息子(兄)を哀れんでの究極の義理チョコ」である(汗)
小学校の頃、女子に人気があるのは、スポーツができる男の子だ。かけっこの速さとモテ度合いは比例したにちがいない。
スポーツはいまひとつ、家で本を読んだりテレビを見ているのが大好きな「インドア派」な自分には縁のないものであった。
おまけに、あまり周囲と仲良くするつもりもなく、授業中も上の空だったり落書きをしていたり宿題もやってこない。そのくせ、礼儀正しく言葉遣いも丁寧で、テストの点数はけっこう取るという「勉強のできる問題児」だったので、女子が寄り付かなかったのだ。ああ、なんて痛い存在だったんだろう(汗)
中学校でも、そういうイベントには縁がなかった。
高校……は、男子校だったので、そういうイベントにはまったく縁がなかった。
大学……以降は、まあこのぐらいになると、あんまり感動もなんもない。もらっても「義理チョコ」にしか見えない(汗) その四季折々でおつきあいしていた女子からチョコレートをいただくことはあったが、すでにそんなチョコで一喜一憂するような季節は「遠い過去」だったりするので、そこで感動したりはしない。
「感動しない」などと書くといろいろと語弊があるので補足するならば、
「感謝はあるが(それほど)感動はない」
と言うべきか(汗)。だってねぇ、もらえることが分っていて知っている(とか、一緒に住んでるとか)人からチョコをもらえるという図式には変わりはないのだし。あれはきっと、期待も予想もしなかったところから降ってくるから「えええええ、どうしよう?!」というトキメキがあるにちがいない。相手によってはトキメキではなく困惑だったりするのかもしれないが。
大人になってからもらったチョコ、もし小学生の頃にもらったら、きっと『一生付いて行きますぅぅぅぅぅ!』 って誓うぐらい感動したことだろう。エサは、早い時期にバラ撒かれると効果が大きいのだ(断言)。
一緒に住んでいる人からもらってもトキメキがない、などと書くと「じゃあ、いらないんじゃん」と早合点するのは思慮が足りない。「揺れるオトコ心」を理解していない、と言われても仕方のないことだろう。
ここで、「もらえるはずのものがもらえなかった」場合に、その失望はきわめてふか〜いものとなる。
実際、奥方様が去年バレンタインデーの日にチョコを「忙しいから、用意してないしー。もう眠いよ〜」などとかっとばそうとしたので、
「いますぐコンビニ行って買ってこおおおおおおいいいいいい!!!!」
と、(珍しく)怒鳴りとばした。
そして、あまりに情けないのでそのままふて寝してしまった。寒い中、奥方様がコンビニから帰ってくると、すでにスヤスヤと寝ている私を見て殺意を抱いたという。
……血まみれのバレンタインデーにならなくてよかった。本当によかった。
今年は、早くもスーパーで100円ぐらいのグリコのチョコレートを棚から手にとっては「これがほしいか、これが?」と、ヒラヒラさせる始末。
と、リクエストしているが……どうなるやら(汗)