たまたま、大学時代に3年生の夏まで在籍していたマンドリンクラブのmixi内のコミュニティに登録していたら、GWに他校との合同演奏会があるとの知らせを受けた。
せっかく3年生まで続けたのに(正確には3年生の春ぐらいまでか)、途中でやめてしまったのは……たしか、アルバイトと学校とゼミとサークル等を両立させることが難しかったからだ。
当時親からは「楽器遊びをするために学校にやってるんじゃない!」とこっぴどく怒られもした。実際には2年生の終わりにはもう、サークルどころではなくなっていた。夏に上級生からダメ出しをくらったのは、ちょうどその時期に新しい執行部が立ち上がったり、合宿への参加の話が出たりしたからだろう(夏の合宿にはすでに参加していなかった気がする)。
大学2年生の頃、学外でポケットコンピュータのサークルなども始め、これの会報作りにずいぶんのめり込んでおり、こっちの方が楽器の演奏よりも遥かに面白かったということもあった。アセンブラのプログラミングが上達しかかっていた時期でもあったため、かなり熱中して面白くなってきていた。
だが、楽器の方はお世辞にも上手とは言えないレベルで、譜面もまともに読めなければ、音楽理論の何たるかもさっぱり。コード進行なんて今でも全然分からない。なんとか音が出ています、という程度だ。おまけにメトロノームなしで練習するもんだから、リズム感がさっぱりである。その割に、ポケットコンピュータに楽譜をMML化して打ち込み、譜面を読めなくても演奏内容を確認していたりと……工学部の学生でもないのに(理系ですらない)コンピュータ漬けの毎日。
だいたい、大学入学早々になんで楽器をやろうと思ったかといえば、高校時代に母校がブラスバンド部やら軽音楽部が盛んで(母校の卒業生にはB'zのギタリストの松本氏がいる)、楽器が演奏できたら楽しそうだと感じていたのと、CDで音楽を聞き始めて生演奏を実際に演奏したり聴いたりできたらいいのにと思っていたため……あとは、おそらく生涯でもこの時期にやっておかないと、一生楽器などとは縁がないだろうとも思ったからだ(女子の多いクラブだった、というのもあるかもしれない。うん、きっとそれは大きい)。
マンドリンクラブの練習は市ヶ谷の校舎で行われていた。自分の通う多摩校舎からは1時間半以上も電車に乗って通う必要があり、終わった後に飲み会に行けば時間的にも経済的にもなかなかの負担であった。自分らの時代には80人以上はいたが、いま現在、母校のマンドリンクラブは20〜30人ぐらいの規模のようだ。おそらく、多摩校舎から練習に通うメンバーはいないだろう。
マンドリンクラブでフルートというと、クラブ内でもそれほど人数がいるわけでもなく、割と閉鎖的な世界であった。譜面を追いかけるのが精一杯で、「音楽ってなんなんだろう」とかいう話はさっぱりだ。
今なら、「いろんな楽曲を聴いてみたら?」とか「よそのオーケストラの演奏を聴くといいかも」とか「学外でフルートをやっている友達でも作ってみようよ」などなど、情報収集力やら行動力を駆使していろいろ試せる、などと考えるものだが……やはり、当時はそれほど余裕があるわけでもなく、さまざまな物事をこなすだけで精一杯。楽しいと感じたことは、音楽に関してはあまりなかった。しいていえば、1人で勝手に曲を吹くのは楽しかったが、合奏に出るのは楽しくはなかった。数十小節の間、ただ待っているという状態はザラで、合奏中にやっていることの大半は「次に吹く箇所を間違えないためにカウント」というものだった。
随分と話が脱線したが、卒業して20年近くもたてば、いい感じに記憶が風化して「痛い記憶」から「遠い遠い思い出」ぐらいにはなっている。「たまには原点を確認してみよう」などと思いたち、演奏会に1人で行くことにした(奥方様も連れて行きたかったのだが、彼女には先約があった)。
仕事場を定時で飛び出して、会場へと急ぎ……いざ演奏を聴いてみると、まったく別のクラブの演奏のようだった。理由は歴然。自分たちの時代は全部で80人ぐらいは部員がいたものだが、これが現在では半分以下になっているのと、フルート/クラリネットの管パートが消滅していたからだ。まあ、全体の人数が足りなければ無理もない。
それでも、大学2年生の時にジョイントコンサートで演奏した曲目がほぼそのまま演奏されており、懐かしさに思わず自分も舞台に立っているような気分に。足でリズムをとって指が(フルートを実際に吹いているように)自然と動く。合宿で徹夜して朝まで練習、という超体育会系の生活を行っていれば、さすがにカラダが記憶しているというものだ(なんであんなバカな徹夜練習をやっていたんだろう? 効率いいわけがないのに)。
会場に着くまでの道すがら、大学時代のいい思い出やらイヤな思い出(かなり痛い)やらが走馬灯のようによみがえってきてイヤ〜な汗をかいたものだったが、演奏が始まってしまうと雑念が消えて「聴く」ことに集中できた。
演奏の合間に、自分が大学当時何をしたくて、何ができなかったのかを考えていた。
多分、自分は何かの物事の中心、主役でいたかったのだ。だが、残念ながらマンドリンクラブは自分の組織ではないし、上下関係は厳しい。練習は定期的に出なくてはならないうえに、選曲も上級生の決めたものが絶対だ。間違っても、演奏の中でフルートのソロでもなければ主役などにはなれない。
……これだけマイナス要素がてんこもりであるにも関わらず、その後の生活にサークルの経験はかなり生かされている。
まず、大学時代にサークル生活を経験していなかったら、間違いなく会社勤めはもっと苦しいものになっていたに違いない。
あとは、プログラミングでもいい経験になった。途中でつまづいたら、もっとゆっくり(=簡単)のリズムにして練習。それでもできなかったら、もっともっとゆっくりにして練習……というやりかたは、プログラミングにもんんんのすごく合っているのだ。
今度の冬の演奏会には、奥方様も連れて行ってみることにしよう。