真・AppleScript 2.0

ちょっと前にUSのAppleScript Users MLで盛り上がったトピックが「AppleScript 2.0」だ。以前に、ASの処理系内部の構造改革などで「2.0」的なコンセプトが語られたことがあったというのだが、その後の消息は定かではない(古AS2.0)。

さらに、Mac OS X 10.3でAppleScript 1.9になったあと、Mac OS X 10.4ではAppleScript 1.10などという往生際の悪いバージョンナンバーが与えられた。今度のMac OS X 10.5ではついにAppleScript 2.0(新AS2.0)が登場するのだという(へぇ〜、全然知らなかった。おどろいたなぁ ←棒読み)。そんな経緯で、何やら久しぶりにオフトピック系の話題で盛り上がってしまったのだ。この手の話題になると、みんな感情論一本やりで突っ走るので、あえて傍観することにしている。US Appleのメンバーがつるし上げになっている状態でも、別にそこに加わろうとは思わない。遠くからにやにやと眺めて楽しむのが私の立ち位置だ。


話を元に戻そう。AS2.0のスレッドが立ち上がって、比較的活発な議論が行われたのでその動きを分析してみることとしよう。


このトピックに、さっそく目立ちたがり屋のPaul Berkowitzが解説を加えた。彼はテクノロジー系のライターであり、開発者っぽいこともやっているようだ。USの雑誌で彼の記事を読んだことがあるが、仕事が雑で「ただこなすだけの雑な仕事」をする人物として私は認識している。今回は、OSに標準でAppleScriptのLanguage Guideが添付される(英文)ので、そのあたりに触れつつも、同じくライター仲間のMatt Newburgが書いたASの本を持ち上げつつ、「Mattの本ほどじゃないだろうけど」標準で添付されることの意義について説いている(このへん、実はPaulがAppleから依頼されてLanguage Guideを書いてんじゃねえの? といった深読みもしてしまうわけだが……正確なところは分からない)。


古AS2.0は、完全に再設計されたオブジェクト指向の言語であったが、数年前に立ち消えになっていることを説明。今回の2.0は、単純にバージョン番号の繰り上がりにともなう2.0であり、革新的に世界観が異なるといったことを象徴するような「2.0」ではないという。「むしろ、1.11的な性格が強い」という例えは実に的を得ている。Unicodeへのフル対応をもって評価すべきというのがPaulの意見のようだ。


相当にML活性の高いHasが食いつく。彼もこの世界では有名人だが、ちょっと毛色が変わっており……支持者が少ないため常にイライラしている印象を受ける(その反対に、地道に支持者を増やしているのがおフランスのEmmanuelのおとっつあんだ)。AS2.0という言葉の定義を「プロ的な」要素を付加する試みであるとし、プロのプログラマはPythonやRubyといった言語を使っているので古AS2.0的な存在に感心がなく、非プロフェッショナルのプログラマは大々的な変革を嫌った、と嫌味ったらしく説明している。そこで、Appleは既存の文法などは一切変更せずUnicodeへの完全対応をもって2.0というバージョンナンバーを与えた。それ以上でもそれ以下でもない、というのが彼の説明だ。ついでにいろいろ嫌味やら何やらをまぶしつつ投了。いかにもHasらしい嫌味たっぷりの文章だ。SoやBecauseではなく「Thus」という言葉を使うのだが、なんかこれが「Apple英語」っぽくて嫌味を増幅させているように聞える。これは私の感じ過ぎだろうか。


そんでもって、Paulの「バージョン番号が1.1台でいられるのもバージョン1.15までだ」というくだらない冗談を理解できない石頭が数人つまらない議論をもちかけ、HasやPaulに個別論破されて終わる掃討モードに入った。


議論が収束しかけたところを見て、AppleのAS EngineeringのChris Nebelが登場。バージョン番号の比較演算についてのドーーでもいい技術的な補足をして締めくくりにかかった。もう、あとは小物が出てきてはブーブー言っておしまい。小物たちが小物っぷりを遺憾なく発揮していて微笑ましい。


単に詳しい連中の「オレの知識はすごいだろう」的な自慢大会の花火があがって、これにいつもどおり脊髄反射で噛み付いた小物どもが、予定調和的に各個撃破されて終わってしまった。分析してみたら、ものすごくいつもどおりの伝統芸能的な形式美を堪能できただけだ。もっと、本質的な議論はこいつらにはできないのだろうか。その程度の連中に撃破されてんじゃねえよ! と言いたかったのだが、相手をしているほどヒマでもなかったので放置しておいた。これもいつもどおりである。


だいたい、MLなどの公の場に本来の親玉のSal Soghoianがまったく出てこないのがよくない。日本国内のその筋の人たちの間では「Sal Soghoian健康不安説」などがまことしやかにささやかれている。Chris程度の小物ではみんな言うことを聞かない。方針などについてSalが説明を行わないこと自体が問題だ。まあ、(Mac OS X移行時に)いろいろ約束をしたけれど果たせなかったし、彼も出てきずらい部分はあるのかもしれない。OS標準添付のサンプルコードは魂が腐ったようなAppleScriptが書かれているが、Salのサンプルはひと味もふた味も違う。知性の輝きを感じる。Salが慕われるのもそんなところにあるのではないか、などと感じている。

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