巨大「感情」誘導装置としてのSNSは危険?

少し前に、『ハイコンセプト』,ダニエル・ピンク・著,大前研一・訳という本を読んでいた。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4837956661/250-8167006-6633031?v=glance&n=465392

書籍の帯には大前研一の写真が大きく載っており、書店で手に取ると、まるで大前研一が書いた本みたいに見える(実際のところ、彼は序章の執筆と翻訳を行っただけだ)。

アルビン・トフラーによる「第三の波」(ナレッジワーカーへの産業構造シフト)から10年余。インドや中国の安価で良質な労働力、あるいはコンピュータプログラムやロボットなどによって、「単純・反復系労働」や「単純知識系労働」がわれわれの手から奪われていく、というのが話の枕だ。

本書ではそうした時代認識のもと、「第四の波」として、既成概念にとらわれずに新しい視点から物事をとらえ、新しい意味づけを行っていく「コンセプチュアル社会」の到来を唱えている。

このコンセプチュアル社会の中で、他を圧倒するほどのオリジナリティを持つ「ハイ・コンセプト」と、他者と共感する能力である「ハイ・タッチ」が重要だ、というのがおおまかな内容だ。

ハイ・コンセプトの話については、「待ってました!」と拍手喝采といったところだが、「ハイ・タッチ」に話題が移ったあたりから、読むにしたがって気分がドンヨリしてきた。

1ページを読み進むのにものすごい労力と時間を要するのである。本を読むのは決して遅い方ではないのだが、通勤電車の30分の時間の中で4ページ読めればいいほうだった。

その内容を、あえて思いっきり悪くいえば……世の中の多くの人がロジックではなく感情のみで動くようになってきており、ロジックの通用しない感情オンリーの人とうまくコミュニケーションする能力こそが「ハイ・タッチ」だ、と読めてしまったからだ。

そうして考えていくうちに、mixiという「場」に漂う「違和感」をうまく説明できるような気がしてきた。

mixiのようなSNSでは、ニュースが日々掲載され、それに脊髄反射であまり考えずに「感想」を書く大量のメンバーたちがいる。そこでは、ロジックよりも感情に基づいた単純で稚拙な文章が主流をなしている。

さらに、日々発生する感情をさかなでするようなニュースに、そのまま生の感情で反応するメンバーたち。彼らが思考することはない。ただ、日常のダラダラとした日記と同様に「感想」を脊髄反射で書き連ねるだけだ。

そして、憎しみ、怒り、悲しみといった感情がスパイラルの中で増幅されてゆくのだ。

いまの構造のままでは、いや、もはやすでにmixiは世論や大衆の「気分」をコントロールすることが、もんんんんのすごく容易なシステムなのではなかろうか。300万人もの人民の気分や感情をコントロールできるとしたら、これはドえらいことである。ジーク・ニホン! ってなもんである。

mixiニュースのニュースソースはある程度限られており、そこにmixiの頭の悪い担当者が選びそうな(頭で考えなくても理解できそうな)傾向の偏ったニュースを流せば、自然とmixiがピックアップし、mixiニュースに流れ……それを読んだメンバーは皆一様に同じような感情的な反応を行うようになるだろう。まるで、砂鉄が強力な磁石に引き寄せられるように、だ。

ニューファシズムの台頭、それと時期を同じくして登場した「巨大な大衆操作機構」としてのSNSの存在にまで考えが及ぶ。

「感情」の生体間濃縮を行う場としてのSNS。近い将来、無秩序なSNS運営は禁止されるかもしれない。ブレーキのない感情暴走エンジンとしてのSNSには、ものすごく危険な「道具」になりつつあるという実感がある。

そして思うのだ、無意識のうちに何者かにコントロールされるのではないか、という状況を打開する有効な手段は「立ち止まって沈黙し、目をつぶって深く思考すること」のみである。流されないようにするためには、時として発言することよりも沈黙することの方が重要だったりするのだ。

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