引っ越しで痛感する時代の流れ

引っ越しのため、数年ぶりに実家の私物を片付けた。
3年間、私物の大半を実家に預けたままになっており、このたびの引っ越しでこれらを実家から撤去する必要に迫られたのだ。

練馬/中村橋の新居はこれまでの部屋よりも広いとはいえ、やはり容量には限界があるので、すべてを持っていけるわけではない。「片付け」作業とは名ばかりで、実際は「大半を捨てる」作業を意味する。

ただ、苦痛を伴うであろうこの種の作業が、拍子抜けするほどスムースに済んだ。時間はそれなりに(半日)かかったが、精神的苦痛はそれほどでもなかったのだ。
もちろん、1人で片付けたのではなく、奥方様や母上、夕方からは帰宅した末弟も手伝ってくれた。自分は「いる!」「いらなーい」とモノを放り投げていただけのような気がする。

話が脱線してしまった。自分のだらしなさを自慢している場合ではない。その片付け……いや、廃棄の判断基準が時代とともに大幅に変わって驚いたというのがテーマである。

「いるもの」と「いらないもの」を分けるというのはなかなかにエネルギーを要する作業である。

「いるもの」の中には「今すぐに必要なもの」と「今はいらないけど将来的に必要かもしれないもの」/「今も将来も使わないが過去にバリバリに使っていたり高価だったため捨てられないもの」といったものが混在しており、それが他人の目には「明らかにガラクタを溺愛している」と映る。この観念的なギャップの擦り合わせ作業がものすごく苦痛だ(別名:言い訳)。

…………ただ、いざ実際に作業を開始すると、これらの心配は杞憂に終わった。ここ4年あまりの間の技術革新がすごすぎて、「一昔前なら必要だったもの」のほとんどがすっかり「いまでは不要なもの」と化していたからだ。

たとえば、大量のSCSIケーブル。

SCSIケーブルといえば、そのピン数や形状や用途や規格に応じて非常にバリエーションに富んだ製品が世に出回っていた。だが、いまや周辺機器の接続はUSBかFireWireですべてこと足りる。PowerBook接続用の30ピンなどという強烈に独自なものは一切いらなくなっていた。

たとえば、シリアルケーブル。

主に、モデム(いにしえのインターネット接続手段)やプリンタ環境が激変したことにより、インターネットとの接続にはモデムではなく無線LANが……プリンタもAirMac Extreme経由でUSBプリンタを無線接続するようになった。

たとえば、オーディオ/ビデオ機器。

部屋に鎮座まします大型のAVアンプなどというものは、iPod中心のオーディオ聴取スタイルのもとではあまり意味を持たない。かなり気合いの入ったオーディオ機器ならともかく、カジュアルなレベルの製品であれば、そんなものを持っているよりもヘッドホンにお金をかけたほうが利口というものだ。

たとえば、ビデオソフト。

Laser Diskを割とたくさん持っていたが、もはや生産中止だしソフトの供給もない。最近は(当然のことながら)DVDしか購入しないし、DVDはPowerBookで見るのが当たり前になり、大型のプロジェクター(二昔前の、それほど解像度はよろしくないもの)もあまり意味がなくなった。

たとえば、PowerMac 6100。

かつて、省スペースの処理実行専用機(ロボット)やサーバーとして重宝されたPowerMac 6100だが、言うまでもなく今日においては使いものにならない。これとは比較にならないほど性能がよく、安くて場所をとらないMac miniが存在する以上、このマシンを持ち続けることは懐古趣味以外の何者でもない。

かくして、「段ボール20箱」という1つの削減努力目標をクリアし、おそらく10箱そこそこに収まってしまった。

手元に残ったのは、「現在使用するもの」と「大昔に使っていた思い出の品(ポケコンなど)」しかない。ただ、問題は……この「大昔系グッズ(ポケコンなど)」が段ボール3箱分もあることで……将来これをめぐって大規模な家庭内の争乱が起こることは必至である。

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