旅に出たがる人、旅に出たがらない人

相方は旅行好きな人であり、いろいろと海外旅行にも出かけた経験がある。

対して、自分はおっそろしく出不精な人である。以前に相方と一緒に旅行に行ったときの写真を見ると、満面の笑みを浮かべた相方の姿が写っている。ああ、普段はこんな笑顔は浮かべないよなぁ、などと考えるとちょっとだけ胸が痛む(あくまでちょっとだけなので、一晩寝ると忘れてしまうのだが)。

なぜ、旅に出たいのか? 相方に理由を聞いたところ、同じ場所にいることに対してストレスを感じるのだという。いわく、発見がない、刺激が無い、なにもない……。

対して、自分はどうであるか?

どこに居ようが自分は自分であるし、インターネットのおかげで、お茶の間に居ながらにして海外の開発者と議論することも可能だ。情報収集も無線LANごしに家の中の好きな場所で行える。

いまや、さまざまなアイデアを発想するのに「場所」はほとんど関係ない。都心に住んでいようが、郊外に住んでいようが、さまざまなアイデアやプロジェクトを発想し得るし、日々新たな発想や着想を、自分の頭の中から得ることができる。
……結局のところ、別に出かけなくてもいいじゃない? という結論になってしまいがちなのだが……そうはいっても男と女は別の生き物なので、相手の意見を尊重しなければやって行けない。

旅に出たいか出たくないか、という話をすれば……実のところよくわからないのだ。

自分には、旅をする習慣そのものがないということも理由のひとつかもしれない。1人で旅行をしたことなどないし、自分から旅行に出かけるタイプでもない。

学生時代も、とにかく四六時中忙しくしていたし、定期演奏会が近くなるとサークルの合宿で安宿に大勢で泊まり、夜おそくまで楽器の練習に明け暮れていた。そのぐらいしか旅の記憶はない。それは、あくまで「苦しい合宿」であって、「楽しい旅行」などではない。断じてない。ないったらない。

日本各地で行われたMac系のイベントへ参加した場合でも、電車で移動してホテルに泊まり、翌日のデモの準備で明け方までムービーやプログラムを作るといったものばかりで、「旅」自体を楽しむというものではない。

いわば、出張に毛が生えたぐらいのものだ。

さらに、イベントがあったとしても「お客として気楽に楽しむ」という側ではないので、自分が楽しむことにはあまり関心がないのだ。

ただダラダラするだけなら家でもできるわけで、わざわざ遠くまで出かけてダラダラするというのはいかがなものか……ああ、ただ考えるだけでも徐々にアタマが拒否反応を示してしまう。ここは、旅で楽しかったことを思い浮かべてみるとしよう。

食べ物については、確かに旅先の食事はすばらしい。東京(の片田舎)を離れて、見聞を広めるのもよいだろう。

だが、どこに出かけるべきなのか? もし、予算的な制約がないとしたら自分はどこに行くものなのか?

そういう領域には、自分の想像力はまったく働かない。まいどまいど、ほとんど拉致に近い状態で連れ出されないと、旅行になど出かけた試しがないのだ。

子供の頃に、親戚の家によく連れて行ってもらっていた。そうした「旅」は楽しかったし、親戚のおじさんやおばさんはいい人ばかりだった。また、子供の頃は親戚にかなり長い間預けられていたのだが、親がいなくなっても顔色ひとつ変えず、瞬時に「その家の子」になってしまうという得意技をもっていた。

  「帰るのが嫌だった」

そうだ、楽しい旅行から「日常」に戻る瞬間がイヤで、それなら旅行になど行かなくてもいい、ということになったのかもしれない。えっらく子供の頃の原体験や記憶をひきずっているものだとあきれる。

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