上司から習った、「会議とプレゼン」の極意

会議とプレゼン、というと……だいたいは気が重い種類のものである。経営戦略会議などというと、なるべく指名されずに切り抜けられたほうがよい種類のものだろう。

また、会議は会議でも、アイデアを出し合ったりするブレインストーミングは、なかなか難しい。

「会議とプレゼンの達人」という人の下で働いていたことがある。最初に入った会社で、最後に仕えた上司がそうだった。

彼の頭のキレはすごかった。人前でプレゼンしたり、会議で説明するのに、異次元のスキルを感じたものだ。その上司と出会えたことは、大変大きな財産になったといえるだろう。

この手のスキルは、実のところは努力して実につく種類のものではない。それは、究極的には「センス」の問題だったりするからだ。とくに、プレゼンはその傾向が顕著である。

そのプレゼンのセンスがどういう方向性を持つもので、最終的にはどのような姿になるものか……そういうことを身近で「盗めた」ことはラッキーであった。それは、まるで腕のよいシェフの下で技術を見て盗む作業に似ている。

会議というものも、非常に高度なスキルを必要とする。

瞬時に話の流れを読み、話の流れがどのようになっているかを視覚的に表現し、いま現在自分たちがどこに向かっているのかという意識を共有する。

議題という道に対して、提示された意見がどの方向に軌道を修正するものか、どの程度のインパクトを与えたものなのか……そういう現在の姿を、より明確にフィードバックするのが会議のノウハウそのものである。

よい意見については積極的に評価することも大事である。実は、これが一番難しい。

フとした取るに足らない発言が議論をわかせ、アイデアを形にする原動力となることは、よくあることだ。だが、その発言の真価を瞬時に評価できなければ、フとしたなにげない発言という「アイデアの原石」を見逃すことになってしまう。

あとは、出席者がアイデアを出しやすい環境さえ整っていれば、自然と議論は白熱する。余計な発言をした出席者をそれとなくたしなめ、よい発言をした出席者には積極的に評価する。そのうえで、議論の進み具合いと向かっている方向を明確に示すことさえできれば、それでよいのだ。

本来、人は発言したいものなのである。自分の意見を認めてほしいし、それが評価されることが喜びとなり、新たな発言の原動力になる。その背中をちょっと押してあげること、「こんなこと言ってもコイツには理解できないだろう」という不信感を払拭すること、その場で発言することを、快く感じられるようにすること。

そして、なくてはならないのは……自分と正反対の方向から議長である自分にツッコミを入れられる、よい「ツッコミ役」の存在である。これは欠かせない。

自分に対してブレーキをかけられる人間がいないと、間違った議論や展開に陥ったときに皆が脱出できなくなる。なので、ツッコミ役にはあえて発言を求めるものではないが、要所要所での「キラーツッコミ」のみを期待する(だが、われらがツッコミ役様(相棒)は自ら脱線する危険性をはらんでいる。そこは自分がツッコミを入れなくてはならない)。

これも、やはりその上司から学んだことである。幾つになっても勉強することは大事であるし、つねに前進するために努力し、自分を鍛えていかなくてはならない。
ただ、日々努力することは「修行」することに似ている。だんだん、修行すること自体が自己目的化して、マゾヒスティックな「修行マニア」に陥る危険性をはらんでいるのだ。

オタク、というのはこのマゾヒスティックな「修行マニア」状態のことを指すのではなかろうか。厳に自らに戒めるべき言葉である。

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