SQLというものは、世の中からなくなると思っていた。
いや、正確にいえばなくなるのではなく、「見えなくなる」のだと。グラフィックスにおけるPostScriptのように、基盤として存在していながらも、それに触れなくてよく、覚える必要もないという存在……それこそが10年以上前に「将来像」として描いたSQLの未来であった。
だが、実際にはどうだろう?
検索エンジンで「SQL」の3文字を探せば山のように情報が出てくるし、書店のコンピュータ書籍コーナーにはSQLの書籍が山積している。
その歴史についてまとめられたもののうち、よくまとめられているものを1つ挙げておく。1つ読めば十分だ。
http://www.techscore.com/tech/sql/02_01.html
子供の頃、科学技術博物館でSQLのデモ展示が行われている様子を見て、コンピュータというものを強く意識した。それはパーソナルコンピュータの登場よりも数年をさかのぼった時期の出来事だった。
その瞬間にコンピュータ=データベースというイメージが出来上がった。当時はまだ空調の効いた部屋の中でリールテープが回りながら処理しているという風体であった。
話がそれた。SQLなんて古典的な技術がいまだに使われていることには驚きを禁じ得ない。
SQLに進歩がなかったわけではない。その時代に応じてマルチメディア拡張や、独自拡張が行われた部分の共通規格化が行われたりと、当初の存在からは拡張が行われている。ただ、根っこの部分は同じだ。
Webという存在が登場しなかったら、SQL……いや、データベース自体がこれほど一般化した存在になっていただろうか? インターネットが一般化する前のひところは、データベースという概念自体の存亡の危機に瀕していたような気もするのだが……Googleなどの検索エンジンは言うにおよばず、Webの世界には幾多のデータベースシステムが存在し、人々がそれに触れている。なんとも感慨深い話ではないだろうか?
……などと考えながら、書店でSQLの入門書を手にした。ちょっとAppleScriptから叩く必要があるかもしれないので、事前に勉強しておこうというわけだ。無駄になるかもしれないが、とりあえず頭に入れておいても損はないだろう。
データベースを作成したり、カラムに値を入れたり出したり絞り込んだり……というあたりはまったく平易というか、複雑さもなければ高度な処理が行えるという印象はない。丸暗記すればすぐに使えるレベルだ。
問題は、さらに複雑な処理を行うときの記法になるのだろう。あまりに退屈な内容なので電車の中で居眠りしてしまい、最後までは読めなかったが……。
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