いろいろとアプリケーションの画面を考えるときに、「いかに美しく部品を配置できるか」ということが気になる。また、「人目を引くような画面デザインとはどーゆーものであるか」については、常日頃から研究している。
もちろん、「使いやすい」ことももちろん大事なのだが、「こんなソフトなら絶対に使ってみたい」という魅力ある画面デザインは非常に大事だと思う。
PowerBook/iBookの液晶背面のAppleロゴを6色化するソフト「れいんぼお」のスプラッシュ画面は、線と文字を中心に構成し、白→黒→白とタイトル文字が徐々に浮き上がって消えるという趣向を凝らした。AppleScriptだけで作ったにしては、かなり派手な演出だ。
調子に乗って、About画面にまでこれを使い回して、タイトルが6色にフラッシュするようにしてみたのだが、これは落ち着かなくていけない。やりすぎはよくないという、よい教訓にもなった。
画面の構成例で一番参考にするのは、「未来のコンピュータの画面」として登場する映像のものだ。とくに、日本のアニメーションにおいてどのような表現が行われているかは気になる。
かくして、いろいろな作品のいろいろな画面を参考にしているのだが、一定の傾向があるようだ。
ウィンドウが半透明であること、ウィンドウ枠が割と派手派手な原色系であること、ボタンやスクロールバーなどの細かいGUI部品がないこと…………「そんなもん、長時間使っていて疲れないか?」という内容だが、こういうデザインにすると、なぜか意味もなく未来風な感じにはなる。
もちろん、ウィンドウに表示される情報量は少なめ。別に細部まで作り込んでも、映像の中に入るとそれほどラフでも分らないし、見ることもできない。一時停止させたりコマ送りしたりして、つぶさに観察されるということは考慮されていないだろう。
半透明機能つきのエディタで文章を書いていると疲れるし、Webブラウザを半透明にしてもあまりメリットを感じない(複数のウィンドウを開いておいて、比較するのには使える)。予想外だったのは文字端末のターミナルやログ表示ウィンドウで、半透明にした場合の見栄えが非常によかった。
情報をただ流しておくだけのソフトにおいては、半透明表現というのは意味がある。他の情報の邪魔をせず、また「その気になれば見られる」程度の存在感を保ち続けられるからだ。半透明の時計やカレンダーなどは、かなりいい感じである。Mac OS X標準搭載の時計(NeXT時代からのおなじみ)は半透明表示が行える。とくに、アナログ表示にして画面の隅に浮かべておくと、非常に見栄えがよい。
ExcelやWordなどのお仕事ソフト、またDTPソフトなど長時間集中して作業を行うようなソフトの画面が半透明になっても嬉しくない。ショーアップのために半透明機能は有効だが、作業に集中したい場合には迷惑だ。
そういえば、昔のソフトはツールパレットを併用するのが常であったが、最近のソフトは(用途にもよるが)パレットにせず1つのウィンドウにまとめる傾向にあるように感じる。これは、マウスの操作やウィンドウシステムそのものの操作に不慣れなユーザーが、パレットの操作に難儀することから生じた方向性であるように思う。
いま、この文章を書くのに使っている日記ソフト「Diary++」もフォントと文字サイズをパレットにしているのだが、これは別に1つのウィンドウ内にまとめてよかったように思う。そもそも、このソフト、テキストエディタとしては優秀だが、日記ソフトとしてはいただけない点が多い。
……などと考えると、日記ソフトに不満が爆発しそうになる。過去の日記から関連項目をピックアップして常時表示するとか、必要な調べものをバックグラウンドで実行しておくとか、文章のスケルトンを選べるとか、いろいろやってくれてもいいことは山ほどある。あまり不満がたまると自分で作り始めてしまう(他の作業がストップする)ので、ほどほどにしておこう。