いままでに食べたものの中で、何が一番うまかっただろうかと自問すると、関西に出掛けて食べたものばかりが浮かんでくる。
すべての店がおしなべてうまいというわけではないのだが、基準はあきらかに東京よりも高い。ここぞという店は確実に東京の3倍はうまく、それでいて信じられないほどお手頃価格である。
ここ数年のうちで一番といえば、京都外国語大学のそばにある、お好み焼き屋「一休」のジャンボ焼きそばにとどめを刺す。後日Googleで検索してみたのだが、京都だけにその店名は山のようにあり、住所を正確にポイントすることができないのが残念である。
■お好み焼き屋「一休」
相方が通っていた大学ということで、一緒に訪問してみたのだが、申し訳ないことに大学の印象よりも「一休のやきそば」の印象しか残っていない。さらに、「京都」という言葉に雅な風景ではなく、まず焼きそばの絡み合う姿が思い出される。
もとより、自分は焼きそば好きである。我が家には、父親直伝の焼きそばがあり、家族はもちろんのこと、来客にもてなしても好評を得る。
それゆえに、外食時の焼きそばに対する目は鋭く、屋台はおろか立ち食いの焼きそばでも細かくチェックし瞬時に採点を行う。採点基準は超激辛であり、めがねにかなう店はめったにない。皆無といっていい。
自らのやきそば観を補完するような店に遭うことはなく、外食のやきそばで満足感は得られないのではないか、とあきらめかけていた。
父親直伝の焼きそばは、普通にスーパーで売られている食材で構成されている。どこの店にでもある、マルチャンの3個入り焼きそば麺だ。炒めるときにほとんど水や油を使わず、カラカラになるまで丁寧に炒め、最後に水を適量加え、あらかじめ炒めておいたキャベツと豚肉をまぜて仕上げる。油をほとんど加えずに炒めるため、炒めるのは少々難しい。麺が短くなると食感の低下をきたすので、麺をブチブチ切らないよう、熟練の技量を必要とする。きわめてシビアかつ体力勝負の調理である。
父親直伝の焼きそばは、素朴な味だが、素材の旨味が十分に引き出される。添付の粉末ソースは、最後にかける程度であり、所定の量の半分から3分の1程度しか使用しない。水や油を大量に使用するとソースの味が隠れてしまうが、水や油が少ないと、ソースは繊細なキャベツや豚肉の甘みを引き立てる程度でよいのだ。
そのため、焼きそばについては「プレーン派」とでもいうべき立場をとっており、屋台のやきそばに代表される「オイリー派」とは対立する価値軸を形成している。
この人生における「やきそば観」を大きく揺さぶる出来事が、京都「一休」の焼きそばとの出会いであった。
店の間取りはそれほど広くもなく、狭くもなく。いや、狭いといった方がよいだろうが、適度に雑多であり整理されているようでもある。
店のオヤジは頑固風だが、話すと意外なほど気さくであった。相方が卒業して10年ぶりに訪れたのだが、店のたたずまいに何ひとつ変化がないことに驚いていた。
注文してからは、少々待たされる。だが、手際が悪いのではなく、下ごしらえが丁寧かつデリケートに行われていることが推測された。
厨房の奥で1人の若い店員が下ごしらえ。カウンターのところに広い鉄板、そこにオヤジ。オヤジの仕事を横目で見ていたのだが、食材を焼く姿にこれといって変わったところはない。
後から思えば、おそらく、下ごしらえの工程に何かとんでもない秘密が隠されているのだろう。
食材は、すべて食べやすいサイズに整えられており、魚介類もきわめて鮮度の高いものが使用されていることがうかがわれる。麺も、手打ちとおぼしく、太さは不揃いであるものの、それがどうしたといわんばかりの充実感をみなぎらせている。
しばし待たされて、二人分が運ばれて来た。お好み焼き屋なのに、なぜ焼きそば? と、この時は少々不満でもあった。
口に運んで、やや控え目な味に「うまいが、まあ普通だな」と思ったのだが、じきにテーブルの奥にあるソースに目が止まる。どうやら、この控えめな味付けはソース併用を前提として行われたものであったようだ。
ソースは2種類あった。通常ソースと激辛ソースだ。どちらも関西風の粘度の高いソースであり、ハケで塗る。
辛いもの好きの自分は、迷わず「激辛ソース」に手を伸ばした。おそるおそる焼きそばに塗って食べてみる。
一口、二口……何もコメントが出ない。数分後、店のおばちゃんと話していた相方は、振り返ると、そこに大汗をかきながら一心不乱に焼きそばを食べる私を発見することになる。
「尋常でない食べっぷりだった。鬼気迫る形相で食べていた。店のおじちゃんとおばちゃんがビビっていた」
との証言が残されている。その瞬間、食べること以外は何も頭になく、空気を吸うのももどかしいほどであった。食後のテーブルには、汗のあとがひろがっており、壮絶な戦いがそこで行われたことを物語っていた。
激辛ソースについて、完食後ずいぶん経つため正確に記述することはきわめて困難な作業である。辛いといっても、コショウや七味唐辛子などの野蛮な香辛料が添加されているという風ではない。かといって、インドカレーのようにひたすら辛さをねらった香辛料による辛さでもない。
たとえていえば、ソースの原材料が「濃厚」な結果として「辛い」という味覚をもたらしたという風であろうか。甘みも若干は感じられるのだが、それを積み重ねた結果、なぜか辛くなるという印象だ。
普通のどろソースに、焼きそば粉末ソースをまぜた感じとでもいうのだろうか。とにかく、何か未知の食材が入っていることは確かである。しかし、香りや色からでは内容はまったく分らない……。
このソースが、控えめでありながら、しかし確実に何らかの下味が付けられたやきそばと出合うことで、とてつもない味の化学変化をもたらすのであった。辛さだけでなく、重厚な下味のボリューム感がそこにはあったのだ。
結局、大汗をかきながら、かるーく1杯食べてしまった。このままなら、あと2杯ぐらいは行けそうだった。食後、オヤジさんに礼を述べつつ店を後にしたが、しばらく、店の名前というと「一休」としか出てこなかったほどで、そのショックはしばらく続いた。
生きているうちに、もう一度「一休」のやきそばを食べてみたい。そのためだけに京都に行っても悔いはない。なんで、あんなに関西の食事はうまいのだろうか。いや、東京の食事はなんでこんなに味気ないのだろうか。
思い出しただけで底なしの食欲を覚える。本当にものすごい食事であった。