なんでも書いていいよと言われても

いままでに3冊の本を書いた。最初の「REALbasic使いへの道」は共著で、相方が多くの部分を書いたものだ。2冊目の「AppleScriptリファレンス」は部分的に書いたものなので、自分が書いたとはあまり言えない。ただ、いい本に仕上がったことは無上の喜びである。原稿料も「えっ?」という程度だったが、関わった知り合いは、みな原稿料よりも内容の充実度に満足を覚えている風であった。

3冊目が初めてすべて1人で書いた本ということになる。「Mac使いへの道」という本だが、実にキメラ的な多層構造になっている。第1章でさまざまなソフトの紹介を行い、第2章でAppleScriptについて説明。そして、AppleScript関連ソフトやさまざまな方法論について述べた。

当初は、第1章は「存在しない」形で刊行するはずだった。バリバリのハードな本という方向を目指していたのだが、比較的「薄い」層(ライトユーザー層)にアプローチするため、第1章が必要ということに。第1章については、いささか困難な道のりに思えていたのだが、いざ書き出したら割と調子に乗って書けた。さらに、ライトな第1章とハードな第2章をブリッジするための「1.5章」というべきものが存在した。

ただし、内容を増やした当然の結果として、全体のボリュームが次第に増えてきた。あまりページ数が増え過ぎても、印刷する紙のコストがかかってきたりで、実はうれしくない。適度なボリュームと適度な内容というのが、工業生産品としての「好ましい本」ということになる。泣く泣く、1.5章のプランは却下になった。

第2章のボリュームはさらに輪をかけて大きくなったため、最終的には200ページを超えた。タイトルや表紙は編集部任せだったが、内容のハードさと裏腹に可愛い系の表紙に。これが吉と出たか凶と出たか定かではない。

それほど売れたわけではないが、本好きの人からは面白いと言っていただけた。新人編集者が担当したため、ところどころ致命的におかしな誤植があるが、すでに世に出てしまった後の話なので後の祭りである。自分で書いて自分で編集するという人もいるようだが、自分は書くのに精一杯で、そこまでやっていたらダウンしていただろう。

知り合いの筆者の本を手にして、致命的な誤字を見つけては、その苦労を推し量るものでもある。知人の本で、本のオビ(表紙の外側に巻いてある、宣伝文句などが書かれている紙)に間違いがあった、という話も聞いた。実に末恐ろしい限りである。いい編集者にめぐり会えることの困難さを感じる。

また、増刷がかかったわけでもないので、改訂版などは存在しない。発売当時、広告を打ったのも見ていないため、「宣伝しないと売れないよ?」とは思いつつも、その宣伝を行うための予算を捻出するところまでは、(たとえ古巣の出版社とはいえ)筆者の立場から口をはさむことはできなかったのだ。


後日、他の出版社から、「テーマはなんでも好きにしていいから書いて欲しい」と言われて、本当に困った。

1冊の本を書くとなれば、それなりのボリュームが必要になるし、みんなが興味を持っていることを、さらに掘り下げて書かなければならない。調査のために時間と労力が必要ということになる。

また、出版社の好意で本を書かせていただくということになっても、やはり売れてもらわなくては困る。逆に、恩を仇で返すような真似は、避けたいところだ。

また、本を書くのと普通に働くのとでは、執筆期間(の長さ)を考えると、普通に働いていたほうが、はるかに実入りがいい。コンピュータ関連の技術書のたぐいでめちゃめちゃ売れたという話は聞かない。

Newt On Projectの話を書こう、というプランはあった。事実、ちょっと書きためたものもあった。

しかし、まだ先の見えないプロジェクトでもあるし、書きたいこともあれば書きたくないことまでさまざまである。自分が関わっている現実をそのまま書くというのは、おそらくよほどの精神力の持ち主か、でなければよほど後になって思い出しながら書いたものなのだろう。

バカ話をひたすら書いて本にする、というプランもあったが、実はバカ話こそが最も大変な作業なのである。厚振湖観光協会(http://www.appleco.jp)というサイトに、ひたすら思いついた馬鹿話を1人で書きなぐっているが、ネタ元となる団体や人物がいないとイメージの展開をさせようがない。

客観的に見て面白い人物というのは、なかなかいない。自分で自分のことを「ユニークだ」と言っているような人は、実に平凡で面白くもなんともない場合が多い。コツコツとまじめに暮らしているような人の方が、実はとんでもない性格の持ち主であったりして驚かされる。大学時代に全国規模のコンピュータサークルを作って、50人ばかりメンバーが集まったのだが、これが実に皆面白いキャラクターの持ち主ばかりだった。

本人は面白いなどとはこれっぽっちも思っていないのだが、客観的に観察すると、実に奥深く愉快な人物ばかりなのである。多少のアクはあるのだが、それがまた愉快であった。他人と積極的にコミュニケーションしないと思われるようなコンピュータのマニアが、実は一皮むけば話好きでネタの宝庫というのは発見であった。

今や、猫も杓子もメールやWebを使う時代である。なかなか、その中で「面白い」と思える人物にめぐり会う機会は少ない。その中からネタを抽出するというのは、本当に苦労の必要な話で、誰にでも理解できるレベルの馬鹿話を書くことこそがもっとも大変な作業といえる。

「笑点」を見ながら、「誰にでも分る言葉で、難解な概念を必要とせず、子供からお年寄りまでまんべんなく、しかも長きにわたって笑わせ続けるというのは実に大変な偉業なんだなぁ」と思うのであった。

……で、今日ははたして何について書いたのだろう?


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