たまに、「Macを選択する必然性が見当たらない」という声を聞く。アプリケーションが動いて、インターネットが利用できて……コンピュータを「ソフトウェア・プレイヤー」あるいは「文房具」として見るのであれば、何を選ぼうと大差はないことだろう。
パーソナルコンピュータというものが登場して以来、おおよそ30年たつ。スピードや主記憶容量、ストレージ容量の増大など、「量」としての進化が顕著な一方で、「質」の進化はどうだっただろうか?
LED、紙テープ、文字端末(CUI)、GUIへとインタフェースは進化してきた。Macintoshの登場から今年で20年。しかし、GUIの「次」を担うものはいまだ登場していない。
コンピュータの本質は、この20年ほどの間で、「電卓」レベルからなにひとつ進化していないのではないだろうか。数字のボタンを押すのと、マウスでアイコンでクリックするのとでは、本質的にそれほど差があるわけではない。
ヒトの言葉でコミュニケーションできないコンピュータは、「電卓」と何ら変わらないといってよいだろう。
そこで、ヒトの言葉でコンピュータを動かせる、人工知能インタフェース(ABUI)というものを実際に作っている。すでに、夢物語というレベルではなく、手に届くところまで来ているとの実感を持っている。
しかし、ユーザーがそれをまったく必要としなかった場合に、普及もしなければ製品化もままならない。ヒトの言葉で動かせるコンピュータと、電卓レベルのコンピュータ……その差は明白だと思うのだが、それを知らなければ電卓を使っていても不満には思わないだろう。
CUIとGUIの環境が、目で見て明らかに違うものであったように、従来の環境とABUIの環境や価値観を明確に対比できるとよいのだが。
「ニーズ」を生み出すために何をしたらよいのか? そこが問題だ。