いろんなことを考えて、形にして情報として発信していくことを考えたときに、そのホームグラウンドとなるべきよりどころがないように感じている。
自分自身、Webはいくつも持っており、それぞれの内容に則した情報を出しているつもりではあるが、ボランティアベースであるためその更新頻度と深さ、また、方向性については自分のモチベーション次第である。
製品についてのFAQなどを整備してほしい、というニーズがあるのは分るが、FAQをまとめたところでその労力が報われるわけではない。それどころか、労力が報いられるなどと考えるほうが甘いというのが現実だ。
「じゃあ、その労力と時間と知識とかはどこから出てくるのよー?」
人々は、それを無限かつ無料でネットの宇宙に埋もれているものだと考えているらしい。「給料は出さないけど、会社に毎日来て働きなさい」と言われているのと同じなのだが、そのあたり分っているのだろうか?
話をWeb媒体の話に元に戻そう。雑誌媒体に対してWeb上で「媒体」を志したものは幾つかある。個人ベースの運営であるものの、こまめにリリースを掲載したり、コラムを掲載したり……。
ただ、内容を見て「これでは協力できない」というものが多かった。タイトルからして「何考えているんだか?」というものもあった。他人が作ったものに加担するというやり口が使えないとなると、やはり自分でやるか仕掛ける側に回るしかないのだろう。
米国にはTidBitsというメディアがある。完全にオンラインのみで、有志の投稿と協賛スポンサーによって運営されているものだ。数人のスタッフで運営されているらしく、リリースなどはスタッフML上でふるいにかけられて、扱うべきか否かを決められる。実は、投稿してみたらリジェクトされたので、その仕組みが分ったという次第だ。
こういうものが日本国内で成立しないものかどうか、と考えている。ただ、毎日更新されるタイプのニュースでないと、読者を獲得することは難しい。さらに、購読料を徴収するというのも難しい。いかに、多くのスポンサーを集められるかにかかっている。
……となると、だんだん紙媒体と状況が変わらないことに気づくだろう。いや、選任の営業スタッフがいない分だけ、紙媒体よりも不利であるとさえいえる。
このあたりまで考えて、それ以上考えるのが嫌になって放り投げることがしばしばある。今もここで何か結論めいたものとか、画期的なアイデアが出てくるわけではない。ただ、何か考えることを習慣化しておかないと、出るべきものも出ないということだけはいえる。